『現代社会のゆらぎとリスク』

 「本書はここ十年近くの間に折にふれて発表してきた文章のうち、現代社会の仕組みや構造の変化に関係するものと、リスクについての書き下ろし文とを一つにしたもの」(p.鄯)という本。
 この中でも、「社会的閉鎖理論」について触れられてる文章(1章)が読みたくて購入。

現代社会のゆらぎとリスク

現代社会のゆらぎとリスク


 現代社会における貧困・不平等は、近代社会に存在したそれとは別の性質を持つこと、ゆえに従来の理論とは異なる理論で貧困・不平等を捉えないといけない、と。新しい貧困・不平等は、階級/階層間に生じるものではなくて、階級/階層内に生じるもので(p.6)。で、たとえばマルクス主義的な階級理論や、社会学の階層論は、階級/階層間の不平等を扱うのに適しているけど、内部の不平等を扱うのには向いていない(p.8)。また、従来の理論には、「個人の社会的地位=職業・労働上の地位」って前提があるので、それ以外の部分で起きている不平等において主題となる特定の人々(専業主婦、学生、老人、障害者、失業者…)の地位が捉えきれなくなる、とも(p.12)。さらに、従来の理論では、政治・行政システムによって生み出される不平等という側面を見落としてないか、とも(p.14)。さらにさらに、従来の理論は「一国資本主義的アプローチ」(パーキン)を無条件に前提としてないか(国際化によって/国際化において生じる不平等を見落としてないか)、とも(pp.17-8)。
 そこで有効となるのが、ウェーバーの「社会的閉鎖」ってのを援用してパーキンさんが編み出した「社会的閉鎖の理論」というもの。これは、「排除」と「奪取」のプロセスに注目する理論。ウェーバー的な、「希少な財へのアクセスを独占することによって、それを獲得するチャンスを高めようとするとき」(p.20)に用いられるメカニズムに注目したもの。簡単に言うと、「社会的不平等をもたらし再生産するのが、社会の中に仕組まれている(集団間の:引用者注)排除と独占のメカニズム」(p.26)であると見る理論。「排除」ってのは、「あいつら追い出して利益を独占しようぜ」ってもので、「奪取」ってのは、「あいつらの持ってるもの奪ってやろうぜ」ってものか。で、両者のぶつかり合いによって、財(金銭に限らず)の独占がなされていく感じなのかな。
 この理論だと、集団による他集団の排除(と、それによる財の独占)に注目がされるので、ある集団によって排除された集団が、他の集団をさらに排除することで財を独占しようとする、「二重閉鎖」を捉えることが可能になる、と(pp.22-3)。また、階級間コンフリクトと階級内コンフリクトを、その相互連関性から捉えることも可能になる。あるコンフリクトが別のコンフリクトを呼ぶプロセスと言うか(pp.23-4)。さらに、「排除」と「奪取」という行為を通して集団間関係を捉えようとするこの理論は、硬直的な階級二分化論に陥ることなく、不断になされ続けるコンフリクトという視点を取ることが可能になる(p.24)。
 で、「排除」と「奪取」が、集団のいかなる属性によって規定されてるのか(どんな属性だと独占に有利に働くのか)なんてことを考えていくことも大事。実際著者は、第四節から、「従来の不平等研究」が主たる関心としてきた「労働社会の完全市民」以外の者、すなわち「生産過程への直接参加を拒まれているか、あるいは不完全にしかそれへの参加を認められていない」「労働社会における〈不完全市民〉」が、「なぜ、そしてまたはどのようにして、労働市場への参加から排除され、あるいはまた、不完全にしかそれへの参加を認められないのであろうか」ってことを考え始めてる。あるいは、「なぜ彼らだけが社会的閉鎖と言う手段に訴えかけることができず、また他の集団による排除(搾取)行為を有効な〈奪取〉行為や連帯行動によって迎え撃つことができないのであろうか」(p.41)ってことを考えようとしている。
 と言うわけで、(繰り返しになるけど)集団間のぶつかり合いによって集団間の不平等が起きるプロセスに注目したいときに有効な理論だなって感じた。