理論と実践

 ホームレス関係でのやり取りを追ってて、気になった流れがあって。で、「理論と実践をめぐるこういう流れは、この件に限らず結構あるな」と感じた。
 どういう流れかというと。

  1. ある人々の置かれた現状を考えるために理論を展開しようとする→「そんなこと考えてる暇があったら動け」と言われる。
  2. 実際に何かを実践する→「実践してればいいと思ってるんか」と言われる。
  3. 実践してればいいってわけではないので、実践に必要な理論を考える→「そんなこと考えてる暇があったら動け」と言われる。

…以下繰り返し。

で、「理論と実践を別物として考えても、こうした流れはどうだろう」って思ったりしたこと3点。
 1つ目は、理論と実践は(別のものと見なしても)別に二択ではないってこと。いろいろグダグダ考えつつそこから何かしら実践している大学院仲間や、実践しながら考えていってる大学院仲間がいっぱいいて、そう思う。どっちかを選んだらどっちかができなくなるってわけではなくて、片方が他方を支える関係にあると言うか。
 2つ目は、1つ目と似た話だけど、実践の経験/理論を展開した経験がアリバイにならないというのは確かなこと。だからこそ、実践をしながら、その正当性を理論の面から考えないといけないし。逆に、理論を展開しながら、それが実践にどう帰結するのか考えないといけないだろう、と。
 3つ目は、2つ目と反するものではあるけれど。だからと言って、実践の経験は無視できるものではないだろうということ。経験だけで分かるってことではないけれど、経験に基づいているからこそ分かりやすくなる/考えやすくなることはある。同様に、理論的に考えた経験も無視できるものではない。考えただけで分かるってことではないけれど、考えたからこそ分かりやすくなる/実践しやすくなるってことはある。
 

 というわけで、「ある人々の置かれた現状をどうにかしたい」って思っているのなら、「理論は意味がない」とか「実践は意味がない」なんてしょうもないこと言い合うのではなくて(後者はあまり目にしないけど)、理論も実践も共に必要であり、「どうにかしたい」って目的で一致してるんだったら、議論をしながら目的に沿うようなことを導いていけばいいじゃないかと思うんだけども。もちろん、理論に潜む問題/実践に潜む問題を共に批判しあうことも重要。
 で、目的に沿うようなことを導こうって思ってないんだったら、「そんなこと考えてる暇があったら云々」と言うべきではないだろう、とも。ある目的をどうにか達成しようという立場に乗った上で(目的に賛同してなくても別にいい)、「その目的においては、それはあまり意味がない」って指摘するのは意義があるだろうけれど。

 とか何とか。要するに、理論的であること/実践的であることだけを理由に無意味だと見なすのは変だし、理論的であること/実践的であることだけを理由に批判の対象からはずされるのも変だろう、と。どっちもその中身で有意味か批判対象とされるべきかを判断されるべきである。というごくごく当たり前の話。