定言命法

 ちょっとメモ。カントの定言命法について。カントの概説本から。

 カントによれば、そのつどの状況においてどのような倫理的規範を選択し、その結果、どのような行為を選択しようが、それは行為をする本人の自由であり、行為の選択は行為主体にゆだねられる。そのように各自が自分の行為の指針として選択する倫理的規範のことをカントは「格率(Maxime)」とよぶ。その人生において、あるいはそのつどの状況において、どのような格率にしたがうかは本人次第である。ただし、その際に、ひとつだけ守らなければならない原則があるとカントは考え、それを「定言命法」とよぶ。(pp.112-3)

 「命法」とは、倫理的原理、倫理的義務のことであるが、そのなかでも「定言命法」とは、無条件で守らなければならない倫理的原理である。とはいえ、倫理的規範、原理とされているものの大多数は、必ずしも無条件で守らなければならないものではない。(中略)こうした条件付きの命法のことを「仮言命法」とよぶ。(pp.113-4)

 仮言命法は倫理の最高原則とはなりえない。なぜなら、仮言命法は条件付きの命法であるため、その条件を受け入れるひとに取ってしか拘束力はないからだ。(p.114)

 逆に、最高原理であるためには、無条件の命法、条件の如何にかかわらずだれもが必ず守らなければならない命法でなければならない。それが定言命法だ。
 どのようなものなら定言命法でありうるのだろう。カントは、定言命法について三つの定式を挙げている。(pp.114-5)

 第一は、「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ(その格率を自分だけでなく、他のあらゆる行為主体が選択しても構わないかどうかを常にチェックせよ)」というものだ。(中略)格率の選択をする際には、その同じ格率を自分だけではなく、自分以外の全員も選択したとき、なにか困ったことが起こらないかどうかを検討してからにしなければならない。(中略)
 この原則を言い換えれば、「自分だけ得をするのはいけない」「自分だけ損をするのはいけない」ということでもある。すなわち、エゴイズムの否定だ。カントは、道徳が脅かされる唯一の元凶を「根源悪(Radikal Böse)」とよぶ。(中略)カントの考えるそれは、人間誰でももっている「自分を例外にする」傾向、すなわちエゴイズムのことである。(p.115-6)

 定言命法の第二の定式は、自分の利益ばかりを追求して、他人を自分の利益や目的達成のための手段、道具としてのみ扱うことを禁ずるものである。(中略)それは、極端に言えば、他人を奴隷にすること、他人の奴隷になることの禁止である。(中略)ここでも、結局、第一定式で言われていたエゴイズムの禁止が、対人関係という場面で繰り返されていることがわかる。(pp.116-7)

 第三の定式は、各人がそれぞれの目的を持って暮らしていることをお互い認知し、配慮しあわなければならない、というものである。(中略)カントの考えによれば、各人が自分の目的を追求しつつ、相互にリスペクトしあうことによって秩序ある共同体は成立しうる。そのときにだれかが自分や他人を例外あつかいするようなことがあれば、共同体成立の大前提が破壊されてしまうことになる。(p.117)

 定言命法の三つの定式は、あつかっている内容や言い方こそ、それぞれ異なっているように見える。だが、実際には、どんな場合においても、誰も例外となることなく、それぞれの目的追求ができるようにふるまうことが、場面をかえて奨励されているにすぎない。第一の定式は個人レベルでの事柄であり、第二の定式はそれを対人関係に、第三の定式はそれを共同体レベルに応用したものだ。(p.118)

 各人は、定言命法の三つの定式を遵守することによって、道徳的義務に違反することなく、自由に選択をおこなうことができる。(p.118)


 引用終わり。引用は、

カント―わたしはなにを望みうるのか:批判哲学 (入門・哲学者シリーズ 3)

カント―わたしはなにを望みうるのか:批判哲学 (入門・哲学者シリーズ 3)

より。